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第1課

上代(じょうだい)の文学

上代(じょうだい)の文学

 時代(じだい):710~794年

●上代以前(じょうだいいぜん):神話(しんわ)や伝説(でんせつ)など口承文学(こうしょうぶんがく)の時代(じだい)

       

 上代(じょうだい)の文学(ぶんがく)とは、奈良(なら)時代(じだい)の文学のことである。

 日本にはもともと、文字がなかった。したがって奈良時代以前(ならじだいいぜん)には、文学作品(ぶんがくさくひん)は存在(そんざい)しない。口から口へ伝えられる「口承文学(こうしょうぶんがく)」と呼(よ)ばれるものが存在(そんざい)するだけである。口承文学(こうしょうぶんがく)とは、「神話(しんわ)(神(かみ)の話(はなし))」・「伝説(でんせつ)(先祖(せんぞ)や土地(とち)の話(はなし))」・「歌謡(かよう)(歌(うた))」・「祝詞(のりと)(祈(いの)り)」などである。これは、神にかかわるもの、また民族の歴史を伝えるものなどである。

 

●上 代:奈良時代(ならじだい)の記載(きさい)文学(ぶんがく)の時代

 

 奈良時代(ならじだい)になって、記載文学(きさいぶんがく)(文字によって記(しる)される文学)が始まる。中国から漢字が入ってきた後、漢字から万葉(まんよう)仮名(がな)※」が生まれ、その万葉仮名(まんようがな)を用(もち)いて記載文学(きさいぶんがく)が成立(せいりつ)した。そして、国家がまとまりを持つことによって、それまでに存在(そんざい)した神話(しんわ)や伝説(でんせつ)が、文字として記されるようになり、記載文学(きさいぶんがく)として残されるようになった。

 神話(しんわ)・伝説(でんせつ)・歌謡(かよう)・祝詞(のりと)などは、「古事記(こじき)」「日本書紀(にほんしょき)」「風土記(ふどき)」などにまとめられた。

 また、中国文学が入ってきたことによって、人々の教養(きょうよう)は高められ、文学への興味(きょうみ)がわいてきた。そこから「懐風藻(かいふうそう)がまとめられた。さらに和歌(わか)(日本の歌)の最初の集(あつまり)である「万葉集(まんようしゅう)」が成立(せいりつ)した。

口承文学(こうしょうぶんがく)-人々のよってから口にえられた神話(しんわ)や伝説(でんせつ)

記載文学(きさいぶんがく)-文字であらわされた文学

万葉仮名(まんようがな)-ひらがな・かたかなの原点(げんてん)の漢字漢字で日本語を表記する方法

 例)余能奈河波(よのなかは)

<上代以前~上代の文学>

作 品

成立

年代

文 体

内容・編者など 

古事記(こじき)

712

漢文体

日本最初(にほんさいしょ)の歴史書(れきししょ)

編者(へんしゃ)は太(おおの)安万侶(やすまろ)/稗田(ひえだの)阿礼(あれ)

日本書紀(にほんしょき)

720

漢文体

歴史書(れきししょ)・「六国(りっこく)史(し)」の最初(さいしょ)の歴史書(れきししょ)。編者(へんしゃ)は舎人(とねり)親王(しんのう)

風土記(ふどき)

713以降

漢文体

地誌(ちし)(地域(ちいき)の伝説(でんせつ)など)

出雲(いずも)・播磨(はりま)・常陸(ひたち)・豊後(ぶんご)・肥前(ひぜん)の5つの風土記(ふどき)が現存(げんそん)している。

「出雲風土記(いずもふどき)」(733年(ねん))は完全(かんぜん)な形(かたち)で残(のこ)っている。

懐風藻(かいふうそう)

751

漢文体

日本最古の漢詩集(かんししゅう)

漢詩(かんし)の作者は大友(おおともの)皇子(おうじ)・阿倍(あべ)仲麻呂(なかまろ)などの当時(とうじ)の知識人(ちしきじん)

万葉集(まんようしゅう)

760

和文体

日本最初(にほんさいしょ)の大きな歌集(かしゅう)

撰者(せんじゃ)は大伴(おおともの)家持(やかもち)(?)

約(やく)4,500首(しゅ)(歌(うた))・20巻(かん)

*「古事記(こじき)」と「日本書紀(にほんしょき)」を合(あ)わせて「記紀(きき)」とばれる。「古事記(こじき)」は公的(こうてき)なものではないが「日本書紀(にほんしょき)」は天皇(てんのう)の命令(めいれい)にもとづく、国の正式歴史書(れきししょ)

万葉集(まんようしゅう)

 

  日本最初(にほんさいしょ)の大きな歌集(かしゅう)で、撰者(せんじゃ)は大伴家持(おおとものやかもち)ではないかといわれている。成立(せいりつ)は奈良時代(ならじだい)、759年以降である。

 歌数(うたかず)は4,500首(しゅ)、20巻(かん)から成(な)り、「相聞(そうもん)(恋愛(れんあい))・挽歌(ばんか)(人(ひと)の死(し))・雑歌(ぞうか)(それ以外)」の3つに分(わ)けられる。万葉仮名(まんようがな)で記(しる)されている。

 「短歌(たんか)」がほとんどで他(ほか)に「長歌(ちょうか)」「旋頭歌(せどうか)」などがある。

  ※短歌-57577

   長歌-575757…77

       旋頭歌(せどうか)-577577

 歌風(かふう)は4期(き)に分けられる。

  第(だい)1期(き):作者(さくしゃ)には天皇(てんのう)・皇族(こうぞく)が多(おお)い。額田王(ぬかたのおおきみ)が有名(ゆうめい)。

  第(だい)2期(き):確立期(かくりつき)。宮廷歌人(きゅうていかじん)が多(おお)い。柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)・高市黒人(こういちこくじん)  

      ほか。

  第(だい)3期(き):最盛期(さいせいき)。山部赤人(やまべのあかひと)・大伴旅人(おおとものたびと)・山上憶良(やまのうえのおくら)が活躍(かつやく)。

  第(だい)4期(き):衰退期(すいたいき)。編集(へんしゅう)された時期(じき)。

 他(ほか)に「東歌(ひがしうた)」や「防人歌(さきもりうた)」(東国(とうごく)の庶民(しょみん)の歌(うた))が多(おお)い。

第2課

中古文学 (1)

中古(ちゅうこ)の文学

時代:794~1192年

文学が発達(はったつ)し、女流文学(じょりゅうぶんがく)に特徴(とくちょう)

第一期(だいいちき):国風暗黒時代(こくふうあんこくじだい)(唐風(とうふう)ブーム)   794年から60年間

 *国風(こくふう)=「日本風(にほんふう)」つまり日本風の文学(主に和歌)が軽視された時代。

 中古の文学とは、平安時代(へいあんじだい)の文学のことである。平安時代(へいあんじだい)の始め、つまり9世紀初めの日本は、中国、唐(とう)の影響(えいきょう)を受けた。日本が発展(はってん)するために、朝廷(ちょうてい)は中国に遣唐使(けんとうし)を派遣(はけん)し、積極的(せっきょくてき)に中国文化(ちゅうごくぶんか)(唐風文化(とうふうぶんか))をようとしたからである。世(よ)の中(なか)は中国ブームで、そのため日本の文化や文学は軽(かる)く扱(あつか)われてしまった。これが国風暗黒時代(こくふうあんこくじだい)である、和歌などの国風(こくふう)は人気が薄(うす)くなり公(おおやけ)の場(ば)から姿(すがた)を消した。世(よ)の中(なか)に流行(りゅうこう)したのは漢詩文(かんしぶん)である。そのブームにのって、勅撰(ちょくせん)*の漢詩集(かんししゅう)が生まれた。「凌雲集(りょううんしゅう)」「文華秀麗集(ふみかしゅうれいしゅう)」「経国集(けいこくしゅう)」などである。また説話文学(せつわぶんがく)のさきがけとして、この時期に「日本(にほん)霊異記(りょういき)」がまとめられたが、これも漢文体で記(しる)されている。

*勅撰(ちょくせん)-天皇(てんのう)の指揮(しき)・命令(めいれい)によってまとめること

漢詩集(かんししゅう)

凌雲集(りょううんしゅう)

編集(へんしゅう):小野岑守(おのみねかみ)ら

 文華秀麗(ぶんかしゅうれい)集

編集(へんしゅう):藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)ら

 経国(けいこく)集

編集(へんしゅう):良岑安世(りょうみねやすよ)ら

●第二期:唐風から国風への過渡期(かとき)

  850年ごろから100年間

9世紀(せいき)の終(お)わり頃(ころ)になると、唐風文化(とうふうぶんか)はブームが去(さ)り、国風的(こくふうてき)な文化へと移(うつ)っていく。これは唐(とう)の国(くに)が乱(みだ)れ、遣(けん)唐(とう)使(し)が廃止されたことも関(かん)係(けい)する。また、漢(かん)字(じ)をもとにした万(まん)葉(よう)仮(が)名(な)から、平仮名(ひらがな)、かたかなの成立(せいりつ)を見たことも原因となっている。しかし、厳密(げんみつ)に言うと、この時代の文化は中国の影響を受けた上での国風文化である。この時期には『竹(たけ)取(とり)物(もの)語(がたり)』、『伊(い)勢(せ)物語』、などの物語文学、更に最初の勅撰和歌集である『古(こ)今(きん)和(わ)歌(か)集(しゅう)』が成立した。日記文学のトップとされる『土(と)佐(さ)日(にっ)記(き)』も完成した。

第三期(だいさんき):宮中女流文学(きゅうちゅうじょりゅうぶんがく)の栄(さか)えた時代(950年ごろから100年間)

 10世紀の終わりごろから貴族(きぞく)である藤原(ふじわら)氏(し)の摂関(せっかん)政治(せいじ)*が始まり、それに伴(ともな)って宮中(きゅうちゅう)に仕(つか)える女房(にょうぼう)たちを中心とした平安女流文学(へいあんじょりゅうぶんがく)が盛(さか)んになる。女房(にょうぼう)は貴族(きぞく)の中流階級(ちゅうりゅうかいきゅう)(受領(ずりょう))の娘(むすめ)がほとんどである。彼女たちは自分の経験(けいけん)をあるがままに描(か)いた。「蜻蛉(かげろう)日記(にっき)」は女流日記文学(じょりゅうにっきぶんがく)の最初(さいしょ)の作品(さくひん)である。以後(いご)、日記文学(にっきぶんがく)は盛(さか)んになり、「和泉式部(いずみしきぶ)日記(にっき)」「紫(むらさき)式部(しきぶ)日記(にっき)」「更級(さらしな)日記(にっき)」「讃岐(さぬきの)典侍(すけ)日記(にっき)」などが成立(せいりつ)する。平安女流文学(へいあんじょりゅうぶんがく)の核(かく)となるのがこの日記文学(にっきぶんがく)である。「枕草子(まくらのそうし)」は最初(さいしょ)の随筆(ずいひつ)文学(ぶんがく)として有名であるが、実際(じっさい)にはこの日記文学の流(なが)れの上に位置付(いちづ)けられるものである。また伝奇(でんき)物語(ものがたり)である「竹取(たけとり)物語(ものがたり)」、歌物語(うたものがたり)である「伊勢(いせ)物語(ものがたり)」の流(なが)れを受けて、大作(たいさく)「源氏(げんじ)物語※」が成立(せいりつ)した。「源氏物語(げんじものがたり)」は平安文学(へいあんぶんがく)の代表作品(だいひょうさくひん)であるばかりでなく、古典文学(こてんぶんがく)の最高(さいこう)傑作(けっさく)でもある。これは背景(はいけい)に、藤原貴族(ふじわらきぞく)が栄(さか)え、安定した世(よ)の中があって成立したとも言える。清少納言(せいしょうなごん)の「をかし(おかし)」と紫式部(むらさきしきぶ)の「あはれ(あわれ)」の対象(たいしょう)による美はまさに平安女流文学(へいあんじょりゅうぶんがく)の華(はな)やかさを象徴(しょうちょう)しているとも言えるだろう。

*摂関政治(せっかんせいじ)-藤原氏(ふじわらし)は自分の娘(むすめ)を帝(みかど)(天皇(てんのう))の后(きさき)(妻(つま))とし、生まれた皇子(おうじ)(孫(まご)にあたる)を天皇(てんのう)とし政治(せいじ)を思(おも)うままに動(うご)かした。

*「源氏物語(げんじものがたり)」-平安文学(へいあんぶんがく)の頂点(ちょうてん)にあたるのが「源氏物語(げんじものがたり)」である。「源氏物語(げんじものがたり)」へと文学(ぶんがく)は流(なが)れ、まとまった。以後(いご)、貴族文学(きぞくぶんがく)にはこれにまさる作分(さくぶん)は現(あら)われなかった。

第四期:貴族(きぞく)の没落(ぼつらく)を背景(はいけい)にした時代(1050年から140年間)

 11世紀の終わり頃になると、貴族(きぞく)の力も衰(おとろ)え、院政(いんせい)*が始まる。その後(ご)、平氏(へいし)が栄(さか)え、また一瞬(いっしゅん)の後に滅(ほろ)びるという出来事(できごと)も起こる。戦乱(せんらん)の中世(ちゅうせい)を予見(よけん)するような平安時代(へいあんじだい)の終わりである。この頃(ごろ)「栄華(えいが)物語(ものがたり)」や「大鏡(おおかがみ)」などの歴史物語(れきしものがたり)*が、貴族(きぞく)の栄光(えいこう)と没落(ぼつらく)を記(しる)すものとして成立(せいりつ)する。歴史(れきし)を物語(ものがたり)として記(しる)すこと、歴史物語(れきしものがたり)の意義(いぎ)がある。また貴族政治(きぞくせいじ)のはなやかな面ばかりでなく批判(ひはん)を加(くわ)えているところにも特徴(とくちょう)がある。説話文学(せつわぶんがく)では代表作品(だいひょうさくひん)とも言える「今昔(こんじゃく)物語集(ものがたりしゅう)」が成立する。和歌(わか)では、藤原(ふじわら)俊成(しゅんぜい)により、勅撰(ちょくせん)の「千載(せんざい)和歌集(わかしゅう)」がまとめられた。これは時代の「新古今(しんこきん)和歌集(わかしゅう)」に続くものである。

※院政-1086年白河上皇(しらかわじょうこう)により始められた政治形態(せいじけいたい)、院政時代(いんせいじだい)とは平安時代の後期(こうき)で、白河(しらかわ)・鳥羽(とば)・後白河(ごしらかわ)の三上皇(さんじょうこう)が院政(いんせい)を行(おこな)った時代。

※歴史物語(れきしものがたり)-歴史(れきし)を物語(ものがたり)として描(か)いたもの。漢文体で書かれた「日本書紀」などの歴史書に対し、仮名で書かれ、文学として成立したところに特徴がある。

 4課

中世の文学(1)

中世(ちゅうせい)の文学

時代:1192~1603年

戦乱の世、無常を背景とした文学の時代

 中世とは、鎌倉(かまくら)・南北朝(なんぼくちょう)・室町(むろまち)・安土桃山(あづちももやま)時代(じだい)をまとめていう呼び方である。前代(ぜんだい)の中古(ちゅうこ)が貴族(きぞく)を中心(ちゅうしん)にした時代であったのに対(たい)し、中世(ちゅうせい)は武士(ぶし)の時代(じだい)である。したがって文学(ぶんがく)も優雅(ゆうが)な宮廷貴族文学(きゅうていきぞくぶんがく)から、力強(ちからづよ)さのある武士の文学となる。

鎌倉時代(かまくらじだい)武士時代(ぶしじだい)を背景(はいけい)にした文学(ぶんがく)の時代(じだい)

 

 鎌倉時代(かまくらじだい)の始めには、勅撰集(ちょくせんしゅう)である新古今和歌集(しんこきんわかしゅう)が成立(せいりつ)した。八代集の最後(さいご)の勅撰集(ちょくせんしゅう)である。これ以後(いご)、勅撰集は二十一代まで続(つづ)くが、惰性(だせい)でまとめられたに過(す)ぎない状態(じょうたい)で、貴族文学(きぞくぶんがく)を代表(だいひょう)した和歌(わか)もそのはなやかさを次第(しだい)に失(うしな)っていった。

 この時代を代表(だいひょう)し特徴付けるものに随筆文学(ずいひつぶんがく)がある。鎌倉時代初(かまくらじだいはじ)めに成立(せいりつ)した「方丈記(ほうじょうき)」、終わりに成立(せいりつ)した「徒然草(つれづれぐさ)」は、いづれも当時(とうじ)の時代意識(じだいいしき)を反映(はんえい)し、無常(むじょう)が根底(こんてい)にある名著である。鴨長明(かものちょうめい)の暗(くら)さと吉田兼好(よしだけんこう)の明(あか)るさが対照的(たいしょうてき)でおもしろい。自己(じこ)を見(み)つめているという点(てん)で、前代(ぜんだい)の「枕草子(まくらのそうし)」よりも、考(かんが)え方が進歩している。

 しかし注目(ちゅうもく)しなくてはならないのは、説話文学(せつわぶんがく)である。前代(ぜんだい)にも「日本霊異記(にほんりょういき)」や「今昔物語集(こんじゃくものがたりしゅう)」などの作品(さくひん)はあったが、流行(りゅうこう)したのはこの時代(じだい)である。

初期の「宇治拾遺(うじしゅい)物語(ものがたり)」はこの時代(じだい)を代表(だいひょう)する説話文学(せつわぶんがく)である。他(ほか)に「十訓抄(じっくんしょう)」「古今著聞集(ここんちょもんしゅう)」「沙石集(しょうせきしゅう)」などが名高(なだか)い。

 物語文学(ものがたりぶんがく)そのものが衰(おとろ)えてしまった中(なか)で、軍記物語(ぐんきものがたり)は忘(わす)れてはならない。軍記物語(ぐんきものがたり)は物語文学(ものがたりぶんがく)の流(なが)れをくむものである。やはり、無常観(むじょうかん)を根底(こんてい)にした軍記物語(ぐんきものがたり)は「平家物語(へいけものがたり)」に代表される。貴族(きぞく)をかいた物語が、武士をかくようにかわってきたというわけである。

 日記文学は、鎌倉日記文学(かまくらにっきぶんがく)として残った。それを代表するのは「十六夜(いざよい)日記(にっき)」である。しかし、平安女流文学の中心となっていた日記文学は、時代の流(なが)れにより、これ以後おとろえていくようになる。

鎌倉時代以後:戦乱の世を背景にした文学の時代

 

 鎌倉時代(かまくらじだい)が過ぎると、南北朝(なんぼくちょう)時代(じだい)となる。南朝(なんちょう)と北朝(ほくちょう)に分かれて争(あらそ)った戦乱(せんらん)の世(よ)に突入(とつにゅう)するのである。この時代には歴史物語(れきしものがたり)の最後をかざる「増鏡(ますかがみ)」と、軍記物語(ぐんきものがたり)の最後をかざる「太平記(たいへいき)」が成立した。

 貴族(きぞく)を代表(だいひょう)とした和歌(わか)は衰(おとろ)えていくが、かわりに連歌(れんが)が流行(りゅうこう)するようになる。連歌(れんが)は一つの和歌(わか)(長歌(ちょうか))を何人(なんにん)もが詠(よ)み続(つづ)けるもので、この時代の特徴(とくちょう)を表(あらわ)している。戦乱(せんらん)による下剋上(げこくじょう)の世(よ)の中(なか)の影響(えいきょう)を受(う)け、いわゆる堂上(どうじょう)(貴族(きぞく))から地下(ちか)(庶民(しょみん))へと、文化(ぶんか)の流(なが)れと同様(どうよう)に文学(ぶんがく)も流(なが)れていく。

 南北朝(なんぼくちょう)が合一(ごういつ)されると、一般(いっぱん)に室町時代(むろまちじだい)と呼(よ)ばれる時代(じだい)となる。室町時代(むろまちじだい)も相変(あいか)わらず世(よ)の中(なか)の乱(みだ)れが続(つづ)く、戦乱(せんらん)の世(よ)であることは変(か)わらない。

 この期(き)の代表となるものは、能(のう)の「風姿花伝(ふうしかでん)(花伝書(かでんしょ))」である。足利氏(あしかがし)保護のもとに、能(のう)は、田楽(でんがく)・猿楽(さるがく)といった俗的(ぞく)なものから、高尚(こうしょう)な芸能(げいのう)に成長(せいちょう)したのである。また貴族文学(きぞくぶんがく)の和歌(わか)をふまえた連歌(れんが)は、ますます庶民性(しょみんせい)を増(ま)し、次第(しだい)に俳諧(はいかい)の連歌(れんが)へとかわっていくのである。「新撰犬筑波(しんせんいぬつくば)集(しゅう)」がそれを代表(だいひょう)する作品(さくひん)である。

滑稽(こっけい)味(み)((お)おかしさ)をもった俳諧(はいかい)の連歌(れんが)は、まさに、時代(じだい)が生んだ庶民の文学といってよいだろう。

 

 戦乱(せんらん)の時代(じだい)の最後(さいご)のしめくくりとなるのは、安土桃山時代(あづちももやまじだい)である。戦乱(せんらん)の世(よ)が治(おさ)まる時代(じだい)ではあるが、作品(さくひん)は少ない。ただポルトガル(ぽるとがる)人(じん)の訪(おとず)れ以来、キリスト教(きょう)が伝来(でんらい)したりして、ローマ字による

「天草本平家(あまくさぼんへいけ)物語(ものがたり)」や「天草本(てんそうほん)伊曾保(いそほ)物語(ものがたり)(イソップ)」などのキリシタン(きりしたん)版(ばん)が刊行(かんこう)されたことは、時代性(じだいせい)を示すものとして注目してよいだろう。

 中世は、下剋上(げこくじょう)の戦乱(せんらん)により、貴族(きぞく)から武士へという前代(ぜんだい)の流(なが)れを、武士から庶民(しょみん)へとつないだ時代といえるだろう。

 6課

近世の文学

近世(きんせい)の文学

 時代:1603~1867年

 町人が主体となった江戸時代の文学

   近世(きんせい)とは、江戸時代(えどじだい)のことを言(い)う。これまでほとんど関西(かんさい)で政治(せいじ)が行(おこな)われていたことを考(かんが)えると、東(ひがし)に幕府(ばくふ)が置(お)かれたことは、まさに新(あたら)しい時代(じだい)の始まりと言ってよいだろう。また、戦乱(せんらん)の世(よ)が治まり、町人(ちょうにん)が中心んとなって活躍(かつやく)する時代になったのである。今までの各時代(かくじだい)の特徴を言えば、中古は貴族(きぞく)、中世は武士、近世は町人ということになる。

   この時代は、貨幣経済(かへいけいざい)の発達(はったつ)とともに、町人文化が成立した。この、江戸時代(えどじだい)は、大(おお)きく2つに分(わ)けられる。上方(かみがた)(関西(かんさい))から江戸(えど)(関東(かんとう))に政治(せいじ)の中心(ちゅうしん)が移(うつ)ったことにより、当然(とうぜん)の流れとして、文学(ぶんがく)もその影響(えいきょう)を受(う)け、上方中心(かみがたちゅうしん)の前期(ぜんき)から、江戸中心(えどちゅうしん)の後期(こうき)へと移(うつ)っていくのである。

●江戸前期:上方を中心とした文学の時代

 前期、上方文学(かみがたぶんがく)では何といっても、元禄時代(げんろく)に注目しなくてはならない。この時代(じだい)には元禄三大男(げんろくさんだいおとこ)と呼(よ)ばれる人(ひと)たちがいる。それは、松尾芭蕉(まつおばしょう)・井原西鶴(いはらさいかく)・近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)の3人(にん)である。

 松尾芭蕉(まつおばしょう)は、貞文派(ていもんは)・談林派(だんりんは)の流(なが)れを受(う)け、蕉風俳諧(しょうふうはいかい)をおこした。やや低俗(ていぞく)であった俳諧(はいかい)の連歌(れんが)を文学(ぶんがく)の域(いき)にまで高(たか)めた功績は大(おお)きい。また彼(かれ)の「奥(おく)の細道(ほそみち)」は俳文(はいぶん)(紀行(きこう))の最高傑作(さいこうけっさく)である。

 井原西鶴(いはらさいかく)は、浮世草子(うきよぞうし)の代表者(だいひょうしゃ)。御伽草子(おとぎぞうし)や、仮名草子(かなぞうし)の流(なが)れを受(う)け、浮世草子(うきよぞうし)として「好色一代男(こうしょくいちだいおとこ)」や「日本永代蔵(にほんえいたいくら)」「世間胸算用(せけんむなさんよう)」などを著(あらわ)した。

 近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)は浄瑠璃(じょうるり)の分野で活躍(かつやく)した。「曽根崎心中(そねざきしんちゅう)」が有名(ゆうめい)であり、江戸(えど)を浄瑠璃(じょうるり)ブームにまきこんだ。

 この、江戸前期にあたる上方文学(かみがたぶんがく)は、文化東遷期という過渡期を経て、後期の江戸文学の発達へと移っていく。

江戸後期:江戸を中心とした文学の時代

井原西鶴(いはらさいかく)

江戸時代前期(えどじだいぜんき)、  元禄時代(げんろくじだい)

浮世草子作家の第一人者

 1642年~1693。大阪の町人で本名は平山藤五。若い頃から俳諧を志し、西山宗因(にしやまそういん)の弟子となり、談林派(だんりんは)の若手(わかて)として活躍(かつやく)した。その俳諧的感覚(はいかいてきかんかく)を生(い)かし、「好色一代男(こうしょくいちだいおとこ)」を第一作(だいいちさく)として、浮世草子作家(うきよぞうしさっか)としての活躍(かつやく)を始(はじ)めた。仮名草子(かなぞうし)から、本物(ほんもの)の小説(しょうせつ)としての浮世草子(うきよぞうし)を完成(かんせい)させたのである。

●「好色一代男(こうしょくいちだいおとこ)」(井原西鶴(いはらさいかく))。近世小説(きんせいしょうせつ)である浮世草子(うきよぞうし)の記念(きねん)すべき

第一作。 江戸時代前期、天和2(1682)年刊行としかんこう。

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