日越のつながりのスピーチ

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今日は戦争を通してベトナムと日本のつながりについてお話をしたいと思います。どうぞよろしくお願いします。

日本では1945年8月にアメリカ軍が広島と長崎に原子爆弾を落としました。そして約37万人が死んだり怪我をしたりしたそうです。亡くなった人たちだけではなく、家族や友達を失った人たちは今でも苦しんでいます。原爆の被害を受けた人たちは特にそうです。直接被害を受けていなくても、救助のために被災地に入った人やお母さんの胎内で被爆して生まれた子供たちもたくさんいます。

またベトナムではアメリカ軍がオレンジ剤を撒きました。ベトナムではオレンジ剤と言われていますが、日本では枯葉剤のことです。そして約400万人がその影響を受けました。軍人の被害はもちろんのこと、その子供たちにも障害が出てきました。私のおじいさんは帰還兵ですが、おじいさんからオレンジ剤の被害についていろいろ悲惨な話を聞きました。奇形児が今でも生まれていることは世界中で知られています。

このように日本とベトナムでは戦争をしていた人だけではなく一般市民にも影響があり、今でも後遺症が残っています。しかし、日本の国民も、ベトナムの国民も戦争を通して苦しみがあればこそ成長し、戦争の苦しみの中から立ち上がることができました。また苦しみが分かるゆえに、相手に対して共感も芽生えたと思います。日本もベトナムも過去の戦争を憎んでも、現在のアメリカとアメリカ人のことを憎むわけではありません。終わってしまった過去は変えることができませんが、私たちは将来を変えることができるからです。

こんな話もあります。19世紀なかごろからベトナムではフランスによって土地や家が奪われたり、虐殺が繰り返されたりしていました。ファンボイチャウはフランスから独立するために文化的に共通点が多い日本から様々なことを学びたいと考え、1905年、日露戦争の時に日本に行きました。しかし、まず人材を育てる必要があると言われ、留学生を送るドンズー運動を始めました。そしてたくさんの留学生が日本で勉強しました。その時浅羽佐喜太郎という医師がドンズー運動に共感して、大金を寄付し支援を続けてくれました。ファンボイチャウは彼にとても感謝し、二人の交流が始まりました。このような心温まる話があったのも事実です。そして今もベトナムから日本に留学する学生が増え続けています。

国同士が憎みあい戦争をしてたくさんの犠牲者を出すことより、心の交流のほうに私たちは心を動かされるものです。過去に戦争をした相手の国を憎み続けるのではなく、私たちができることは悲惨な戦争を繰り返さないよう、将来に向けて働きかけていくべきだと考えます。

原爆を受けた日本、オレンジ剤を撒かれたベトナムという共通の痛みを受けた国同士だからこそ協力して平和を推進していかなくてはいけないと思います。

両国の友好関係、さらに世界中での友好関係が深まることで、戦争のない平和な生活を送れることが大切じゃないでしょうか。 ありがとうございました。

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