#3[R18][ShimaSen] 永遠の命を捨ててでも・後編(1)

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Author: スピリッカ

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〈大前提〉

・nmmnです。意味のわからない方は読まずにお引き取りください。

・お名前をお借りしている方々とは一切関係ございません。

・迷惑行為はおやめください。ルール、マナーを守ってお楽しみください。

・ブックマークしていただける場合は必ず非公開でお願いいたします。

〈作品・作者について〉

・人間のsmさん×神社の神様snrさんの、二十年ほどにわたる恋物語の後編(1)です。長くなり申し訳ありません。次回の後編(2)で最終回の予定です。

・全編通してsmさん視点

・R-18シーンあり。今回はsnrさん女体化してません

・mbsnあり。一応snrさんの回想のみですが、話の都合上mbの存在感がけっこう強いかもしれません。

・smさんsnrさんともに、それなりの女性経験を匂わせてます

・宗教的な部分の設定はおおらかな目で見ていただければ幸いです

・作者は関東人なので方言はご容赦ください

・ファン歴も浅いため色々とご容赦ください

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それから俺がセンラさんのことを諦められたかといえば、やはりそう簡単にいくわけもなくて。
ただ、少なくとも表向きはほぼ元通りの関係を取り戻すことができた。すなわち俺がセンラさんに童貞を捧げる前までの、仲良しの近所のお兄さんに対する接し方に戻したのだ。

案外あっさりとしたものだった。センラさんは次に会った時にはもう、何食わぬ顔で俺を迎えてくれたし、俺も一度諦めをつけてしまってからは、吹っ切れたように以前通りの態度を取ることができた。
夜中までおしゃべりしたり何ならそのまま泊まったり、そんなことももう全然できる。

昔は完全に大人と子どもだった俺たちだったが、年を取らないセンラさんと俺との見た目年齢差はどんどん縮まり、関係性もより対等なものへと変わってきていた。俺が大学生になり成人を迎え、初めて一緒に酒を飲んだ時のセンラさんは感慨もひとしおといった様子だった。

「志麻くんもとうとう酒が飲める年になったんやなあ……あのちっちゃかった志麻くんが、エロガキの時期を経てこんなに立派な大人になって……」

「わざわざエロガキの時期入れんでええやろ、そこは飛ばしてや」

「んふふ、黒歴史は誰にもあるもんや。目を背けたらあかんよ」

態度はすっかり元通りになっても、センラさんは二人の間にあったことを否定もしなければ見ないふりもしない。俺も俺で、自分からネタにすることもあるし、たまには敢えてふざけてセンラさんのお尻を揉んで、頭をはたかれたりもした。無理やり名前をつけるとしたら元セフレで今は親友といったところだが、お互いの努力の甲斐あってかなり良好な関係を築けているのではないかと思う。

胸に残る失恋の痛みはまだまだ癒えない。俺がよっぽどの勘違い野郎でない限り、センラさんが俺のことを憎からず思ってくれていることもわかっていた。
だけど俺が好きだと言えば言うほど、その分センラさんを苦しめるだけなのだ。センラさんの抱える底知れない孤独を、ただの人間である俺はどうにもしてあげられない。ならば潔く身を引こうという、俺の決意は固かった。

「志麻くん、彼女とは順調?」

「あ、別れました」

「またかい。続かんなあ」

「続かんのよ。何でやろなあ」

「志麻くんイケメンやし優しいし、一途なのに何でやろね?こんな優良物件なかなかないと思うけどな」

「こっちが聞きたいわ。もしかしてセックス下手なんかな、俺」

「誰に言うてんねん。お前を育てたのはワシじゃぞ?」

「ふははっ、確かに立派に育ててもらいましたわ」

「まあ、まだまだ若いんやし、そのうち上手くいくと思うから頑張りや」

「うん。応援してや、センラさん」

こんな会話を交わしてはいるが、俺の言っていることはほぼ口から出任せである。

彼女なんておらん。後腐れのなさそうな相手と適当に遊ぶことはあっても、特定の彼女はもうずっと作っていない。
センラさんへの未練を断ち切るために無理して彼女を作ろうとした時もあったが、どんな女の子を選んでも俺の中のセンラさんの存在が大きすぎて、その子とちゃんと向き合うことができなかった。
結局、泣かせた女の子が三人目になった時点でこれは無理だと諦めた。
だがそれをセンラさんに言うわけにもいかず、適当な嘘をついて彼女の存在を捏造している。あまり長く付き合っていることにするとボロが出そうなので、ある程度のところで別れたふりをして。

センラさんの持っている神通力は、この町で起きている「事実」を把握できるというだけで、人の気持ちや考えまで見透かすことはできないのだそうだ。また、未来を予知することはできないし、神社から一定以上の距離が離れればその力自体が及ばなくなるらしい。
だから彼女ができただの別れただのという俺の嘘も一応成立するわけだが、そんなこととは関係なくただ単純にセンラさんが俺の嘘に気づいている可能性は充分にあると思う。それでもお互いが知らん顔をしてさえいれば、今のところはそれでよかった。

ずっとこのままではいられないのはわかっている。いつかはセンラさんのことを完全に諦めなければ、センラさんが俺を振った意味も、俺が身を引いた意味もない。
だけど、無自覚な頃も含めれば俺は十年近くもずっとセンラさんのことが好きだったのだ。失恋から立ち直るにはその人のことを好きだったのと同じだけの時間がかかるという説もあるし、まあ、二十代の後半くらいまでには……と気長に構えていくしかない。

「なあ、今夜はとことん飲もか。志麻くんの限界見極めたるわ。若いうちに知っといた方がええからな」

「よっしゃ、ほんなら飲むで。つぶれたら介抱よろしくな、センラさん」

そして結局、この日酔いつぶれたのはセンラさんの方だった。一方の俺は、どうやら相当酒に強いらしいことが判明した。

それからは会うたびにほぼ毎回一緒に飲むようになった。こうなってみて初めてわかったことだがセンラさんはなかなかの酒好きで、しかもけっこう酒癖が悪い。それでも俺が未成年の時には決して俺の前で酒を飲むことはなかったので、センラさんなりに節度は保っていたわけだ。
酔うと口が悪くなったりダル絡みされたりして、慣れるまではびっくりさせられることも多かったけど、そんなセンラさんすらかわいく思えてしまうのだから惚れた弱味というのは恐ろしい。
曲がりなりにも神社なんやから神聖な場所のはずなのに、まるで夜更けの居酒屋にいるような錯覚を覚えるこの時間は、大人になるっていいもんだなと心から思える楽しいひとときだった。

大学も四回生になって就職も決まり卒論も提出し、学生最後の正月に例年通り祖父母の家に数日滞在した。
もうずっと無人の神社となっている千羅神社だったが、相変わらず地元の人たちの好意と信心に支えられて辛うじて存続しているような状態である。おみくじやお焚き上げ、厄払いなど正月の神社に付きもののイベントは何もないが、やはり正月ともなればそれなりの人が初詣にやってくる。

三が日を過ぎた頃、そろそろセンラさんの忙しさも落ち着いたかと思って神社を訪ねてみた。

「おー、志麻くん。明けましておめでとう。えっ、髪みじか!」

センラさんは会うなり俺の髪型に目を丸くした。最近かなり短く刈ったばかりなのだ。

「おめでとうセンラさん。へへっ、ちょっと気分変えようと思ってん」

「似合うてる似合うてる。……ふふふ、やっぱりイケメンやな〜志麻くんは」

褒められるのは正直いつものことだが、センラさんがあまりにまじまじと俺の顔を見つめるので照れてしまった。

「センラさんずいぶんご機嫌やん。新年早々ええことあったん?」

「あったあった。やっぱ正月はたくさん人が来てくれはるからそれだけでテンション上がるし、色々嬉しいこともあったんよ」

「なに?」

「五十年前に縁結びしてあげたご夫婦が来てくれはってな、おかげさまで金婚式を迎えられました、って。俺も知ってはいたけど改めて本人たちから報告に来てもらえると嬉しいやん」

「おー、それは嬉しいなあ」

「あとな、二十五年前に安産祈願で無事に生まれた女の赤ちゃんがな、今度は自分が赤ちゃん授かって、こんな大きいお腹で安産祈願に来てくれたんや」

両手の動きで大きなお腹を表してみせるセンラさんの表情はとても優しい。

「それも嬉しい話やなあ。センラさんのとこに来ればもう安心やな、安産間違いなしや」

「まあ、俺が縁を結んでやっても夫婦生活が円満に続くかどうかはその夫婦次第やし、赤ちゃんが無事に生まれても苦労して育て上げるのは親なんやけどな。でもそのお手伝いっちゅうか、後押しができるってのは神様の醍醐味やんな。こういう時はほんま、報われた気になるわ」

ということは、報われないと感じるときも無いわけではないんやろうな。嬉しそうなセンラさんを前にしてそんな深読みするのは失礼かもしれんけど。

「センラさんってほんまに……人間のこと、好きなんやな」

「うん。俺、人間大好きやねん」

その人間大好きなセンラさんが、どうして出歩くのをやめてこの神社の中に閉じこもるようになってしまったのか、その理由は未だに不明なままだ。
これは俺の勘でしかないが、おそらくそれは百年以上前にセンラさんが経験していたらしい恋愛と何か関係があるのではないだろうか。 聞いたって教えてくれないのはわかりきってるから聞かないけれど。

「なあ志麻くん、飲もうや!お供えでめっちゃええお酒が手に入ったから、志麻くんと飲むの楽しみにしとったんよ」

センラさんは一升瓶をどん、と座卓に置いて、升の中に入ったグラスを二つ用意した。グラスになみなみと注いだ酒が溢れ、升の中にたっぷりとこぼれ出る。
どうやら今夜も長くなりそうだし、高確率で介護が必要になりそうだ。全然ええけどな、センラさんだったら。

「志麻くんも四月から社会人か。月日が経つのは早いなあ」

升酒と会話を楽しむしっぽりとした夜が静かに更けていく最中、センラさんがしみじみとした口調で言った。

「忙しそうやけどけっこう給料ええとこに就職できてよかったわ。俺、バリッバリ働くつもりやねん」

「ええやんええやん、頑張りや。ただ無理だけはせんようにな」

「うん、頑張る。いっぱい稼いで金貯めて、この土地買わなあかんからな」

「……」

ずっと微笑んでいたセンラさんがふと真顔になり、持っていたグラスを静かに卓上へ置いた。

「志麻くん、まだそのつもりやったんやな」

「なんやねん、それ。俺はずっとそのつもりやったで」

俺がちょっとムッとしたのを見て、センラさんは申し訳なさそうに「ごめん」と言うと姿勢を正して座り直した。

「前にその話が出たのって、志麻くんがまだちっちゃい時やったからさ。ワンチャン忘れてくれとったらええなと思って、俺からは言わなかったんや。でもやっぱり、ずっとそのつもりでいてくれてたんやなあ」

「当たり前やろ、俺は……俺もこれは言わんようにしてたけど、いつこの神社がなくなるかと思って内心ずっとビクビクしとるんや。はよここを買って自分も安心したいし、センラさんも安心させたい」

「ありがとう、志麻くん……でもな、」

「嫌や!!」

「ちょ、声でか……まだ何も言うてへんやん」

「言わんでもわかるもん。センラさんのその言い方、絶対あかんやつやもん。振られた時のこと思い出すわ」

「……」

「でもあれやで、センラさんと付き合いたいっちゅう話やったらセンラさんに断る権利あるけど、今回はセンラさんには断る権利ないんやで。俺が自分で稼いだ金を何に使おうが俺の自由なんやから」

「……それは確かにそうやけど、でも志麻くんのご両親もこんなボロ神社買わせるために大学まで行かせたつもりはないと思うで?」

「嫌なこと言うなあ。なんと言われようと、俺はぜっっったいに折れんからな」

「……」

センラさんが俯いて黙り込んでしまったので、ちょっと焦った。言い過ぎたかな、しょんぼりさせてもうたかな。そう思って顔を覗き込もうとすると、何のことはない、センラさんは笑っていた。

「……センラさん、何笑てんの」

「いや……ほんまに志麻くん、大人になったなあと思って」

センラさんは口元を手で押さえて、今度は遠慮なくニヤニヤし始めた。

「あのちっちゃかった志麻くんが、エロガキの時期を経て、こんなに……俺を言い負かすようになるまで、大人になって……」

「いや、だからエロガキの時期は入れんでええって」

「ふふふ。まあ、若いうちにバリバリ働くのはええことやし、金も貯めといて困ることはないからたんまり貯めとけ。でもな、使い途はいつでも変えてくれてええんやで。結婚も子育ても老後も、人生は何かと物入りやからな」

「うん……まあ、俺は変える気ないけどな」

これ以上言い合っても仕方ないので、ひとまずその話題はそこでお開きとなった。

「さ、ほなそろそろ気合入れて飲み直そうか」

センラさんはグラスにわずかに残った酒を飲み干し、おかわりのために一升瓶を取り出した。

「そうやなあ。飲も飲も」

俺も自分のグラスの酒を飲み干し、センラさんにおかわりを注いでもらった。

「ほんっっっまに志麻くんはイケメンやな〜〜〜。髪、短いのもめっちゃ似合っとる!!」

さらに夜は更け、ぐでんぐでんに酔ったセンラさんが両手で俺の頬を挟んでむにむにしたり、短くした髪をわしゃわしゃしたり、好き放題に弄くり回している。
顔が近くてドキドキするし、このままちゅーできたらええのにな、なんて思ってしまう。

「会うたびにびっくりするわ。どこまでイケメンになるんやお前は」

今度はおでこを押しつけてぐりぐりしてきた。あかんて、かわええて、勘弁してくれ。

「はは、振っといてよう言うわ。今からでも撤回してええんやで?俺、今フリーやし」

俺もぐりぐりやり返しながら、多少酔ったような演技をしつつ悪い冗談を言ってみる。
しかしセンラさんはいくら酔っていてもそこだけはきっぱりしていた。

「あかん!あかんねん、志麻くんは幸せにならなあかん」

押しつけていたおでこを離して、センラさんは俺の両肩に手を置きばんばん叩いた。

「結婚して子どもつくって、幸せな人生を送るんや。俺なんかに構ってたらあかん。幸せにならなあかん」

「……」

「志麻くんが幸せならセンラも幸せや。みんな幸せや。それが一番や」

「……ふふ、センラさん酔っとるな」

こんな泥酔状態でこんなこと言われたらもう、ぐうの音も出ないやん。
もしかしたらセンラさんの本音がちらっとでも聞けるかもなんて、一瞬でも期待したのが馬鹿だった。いや、聞いたところでどうにもできずに辛くなるだけなんやけど。

「酔ってへんもん。お酒足りひん。志麻くん、注いで」

「もー、さすがに飲み過ぎやって」

そうは言っても、求められればついつい飲ませてしまう。酔い方は人間とだいたい同じだけど二日酔いにはならないらしいし、いくら飲んでも人間のように急性アル中になったりはしないので、あまり強く止める理由もないのだ。あとは介抱する側が面倒に感じるかどうかというだけの問題で、当然ながら俺にとっては酔ったセンラさんに甘えられたり手を焼かされたりするのはまったく苦にならない。むしろ楽しいし嬉しい。

たまにスキンシップが過剰だったり、暑がって着物を脱いだりされると思わず欲情しそうになることもあったが、ここでセンラさんを押し倒してしまえばせっかく積み重ねてきた今までの努力が無駄になる。そう思うことでどうにか一線は踏み越えずにいられていた。

今夜もセンラさんは俺に絡むだけ絡んで満足すると急に寝てしまった。センラさんを布団まで運んでやった後、俺もここで寝るか祖父母の家に帰って寝るか少しだけ迷った。結局、すぐ近くとは言え帰るのが面倒なのでこのままここで寝ていくことにした。

後から考えると、もしもここで違う選択をしていたら、もしもここで俺が祖父母の家に帰っていたら、ひょっとしたら俺とセンラさんの運命は大きく変わっていたのかもしれない。

この状況を見越して、ちゃんと布団は二組敷いてある。寝る準備を整えて空いている方の布団に入ろうとしたところで、センラさんの掛け布団がべろんとめくれ上がっているのに気づいた。

「あーあ、風邪ひくで……ひかんか、神様やから」

着物もはだけているので胸からお腹にかけてかなり出てしまっている。あんまり直視しないようにしながら、俺はめくれた布団をかけ直そうとした。どうせ暑がってまたすぐ蹴り上げてしまう気もするが、それでも一応直しておこう。

センラさんの上にそっと布団をかけてやると、その重みのせいかセンラさんの瞼がぴくぴく動いて薄く開いた。おやすみ、と言おうとして俺が口を開きかけたその時、センラさんが先に言葉を発した。

「あれえ……久しぶりやん」

ん?久しぶり、とは?
確かに前回会ったのは夏で今は正月だから久しぶりといえば久しぶりではあるが、何年も前からずっとこのくらいのペースで会っているわけだし、第一、言うタイミングがおかしい気がする。

「来てくれたん?ふふ、嬉しい。元気やった?」

「あぁ……うん」

やっぱりどこか様子がおかしいが、まあ酔っ払いのことやからと深く気にせず適当に相槌を打つ。

「ふふふっ、相変わらず男前やなあ。ほんまに村一番の男前や」

村?なんやねん村って。
ここは確かに田舎やけど、村ではなくて町やろ。

そこでふと、ひとつの可能性に思い当たった。

……これは、もしかして。
誰かと間違えられてる?

「……ねえセンラさん、俺のこと、わかる?」

「はあ?何言うてんねん、いけずやなあ。仮にも昔、将来を誓い合った仲やないか」

え、え、え?ちょっと、ちょっと待って。
今、なんて。なんて言った?

「ほんまになあ、俺は人間になる決心までしたっちゅうのになあ。結局あんなべっぴんさん嫁にもろて……ひどい男やでえ」

ええええええええ!?ちょっと待て何やそれ聞いてへん。
人間になるってどういうこと?センラさんが?え、そんなことできるんか!?

「……ごめん、こんなん言うたらあかんな。俺もう気にしてへんよ、ごめんな」

俺が驚いて何も言えずにいるのを誤解したのか、センラさんが謝りながらこちらへ手を伸ばしてきた。ほとんど無意識のうちに俺はその手を取っていた。

「ふふっ、✕✕✕さんの手、あったかいなあ」

センラさんの口から発せられた、時代劇の登場人物みたいな、厳つくて古めかしい名前。それにより、別の男と間違えられていることがいよいよ決定的になった。

握った俺の手を、センラさんが自分の頬へと寄せていく。すりすり、すりすり。嬉しそうに頬ずりした後、センラさんがちらりと俺に一瞥をくれて、そして。

「ねえ……しいひん?」

親指の先を、口に含んだ。

ほんの数分前の俺が想像もしていなかったような驚愕の事態に陥り、俺は語彙力も思考力も判断力も、何もかもを失っていた。

「なあ、ええやろ。奥さんには黙っとけばええやん」

センラさんが鼻にかかった甘ったるい声で言う。俺の片手を握ったまま、ずっと愛おしそうにすりすりしている。

「あ……え……」

「何してもええよ、奥さんにはできひんようなこともしてええよ。俺と✕✕✕さんの仲やんか。酷くしたってええんやで」

センラさんは掛け布団をめくり、はだけた着物の襟をさらにぐっと引っ張って、酔いでうっすら赤くなった胸元を見せつけてきた。
こんなセンラさんの姿、当然ながら初めて見る。ショックといえばショックだったが、何かそれ以上に、悲しいような切ないような気持ちになった。

自分を捨てて結婚した男に対して、こんな風に泥酔して、自分自身を貶めるような言い方で誘いをかけてくるセンラさんがなんだかとても、哀しかった。

「……センラさん」

センラさんの頭をそっと撫でてやると、とろんとした目をさらに心地よさそうに細めた。

「ほんまに……ええの?」

最っっっ低やな俺。
昨日今日出会ったわけでもない俺が誰かもわからないほど泥酔して、昔の男にこんな痛々しい誘い方をするセンラさんを憐れみながらも、この機会をちゃっかり利用しようとしている。

もしかしたら、今まで一度でも男の身体のセンラさんを抱いた経験があったなら、ありったけの理性を総動員して踏みとどまることができたかもしれない。

だが、かつてどんなにお願いしても、最後の最後でさえ、センラさんは男の姿で抱かせてはくれなかった。望み続けて結局果たせなかったかつての夢が、据え膳どころかスプーンに乗せられて、すぐ口元まで突きつけられているような状況なのだ。しかもこれを逃したら、二度とこんな機会は訪れないかもしれないのだ。

たとえそれが、おそらくもうとっくにこの世にいない、他の誰かの代わりにする行為に過ぎなかったとしても。悲しさと虚しさと屈辱とを引き換えにしても、俺はセンラさんに、男のセンラさんに触れたいと思ってしまった。

「え……ええよ、来て。ねえ、はよ抱いて」

センラさんは自分から誘ってきたくせにほんの一瞬、意外そうに目を見開いたが、すぐに両腕を伸ばして俺を求めた。

後のことなど何も考えられずに、俺はセンラさんの両腕の中へと身を沈めていった。

唇を重ねて舌をねじ込めば、センラさんの方から積極的に舌を絡めてきた。首の後ろに回されたセンラさんの腕が、がっちりと俺を捉えて離さない。

くちゅくちゅ、ぴちゃぴちゃ、煽るようにことさら大きな音を立ててセンラさんが俺の舌を味わっている。熱く荒い息が顔を撫でる。長い睫毛が超至近距離で揺れている。

「んっ、ふっ……あ、あっ」

キスをしたままセンラさんの耳、首筋、鎖骨、胸へと指を滑らせていけば、吐息に色っぽい喘ぎ声が混じる。首の後ろに回された腕に力がこもり、全然離してくれない。仕方ないのでそのまま腕の届く範囲でセンラさんの身体を撫で回す。
尖り始めた乳首を指の腹でくるくると、小さく円を描くように触れる。たまにきゅっと摘んでやればびくんとセンラさんの身体が跳ねた。

「ふぁっ、あ、あっ」

いつの間にか唇は離れ、センラさんが両腕で俺の頭を抱え込む。太い首筋に浮かぶ喉仏のあたりに顔をぐっと押しつけられた。

いや、力つよっ!苦しっ!センラさん体格いいし力あるのは当たり前やけど、酔いすぎて加減もできなくなっとるやん!

もがいてもなかなか解放してもらえず難儀したが、そうか乳首弄るのやめればええんやと思って指の動きを止める。センラさんの腕の力が弱まり、ようやく抜け出すことができた。

「なあセンラさん、両手バンザイして」

俺はすっかりはだけたセンラさんの着物の帯を解いてしゅるしゅると引き抜き、着物を全部脱がせた後にバンザイしたセンラさんの手首をまとめて帯で軽く縛った。力任せに抱きつかれるのも決して嫌なわけではないけれど、変なタイミングでそれをやられると下手したら危険性さえあるかもしれない。ということで拘束させてもらうことにした。

センラさんは嫌がりもせず、むしろ期待に満ちた目で俺を見つめてきた。だがその目に映っているのは、俺であって俺ではない。

横たわるセンラさんの上に覆いかぶさって、耳から首筋、鎖骨、胸と、さっき触った部分を今度は唇と舌で、時には歯も使って、順に愛撫していった。女の姿のセンラさんが特に責められると弱かった部分は、男の姿のセンラさんもやはり同じように敏感だった。

こんなゴツゴツした体抱いて何がおもろいねん、声が出たらキショいだけやと、いつだったかセンラさんは言っていた。だけどそのゴツゴツした体こそが、男のまま喘ぐその声こそが、俺が求めてやまなかったものなのだ。実際こうしてそれらを目の当たりにしてみて、俺はありえないほどに興奮をそそられている。

上半身をたっぷり可愛がった後に、下半身へと手を伸ばす。最も男を示す部分であるそこは、体格に見合ったそれなりの大きさを持ち、直接の刺激は受けていなくともすっかり勃ち上がって反り返っていた。先端からくぷくぷと溢れる先走りが腹に雫を垂らしている。手のひらで全体をそっと握り、ゆっくりと扱いてやればセンラさんがたちまち甘い声を漏らした。

「んっ、はぁ……っ、あっ……ん、や、あぁっ、いくっ」

なんかすぐイキそうやなあと思って扱いていたら本当にすぐイッてしまった。上半身がびくびくと大きく跳ねると同時に、手のひらにも小さなびくびくが伝わり、吐き出された白濁液がセンラさんの締まったお腹に溜まる。

「センラさん、舐めて」

「んぐっ……」

荒い息を吐いているセンラさんの口に、やや乱暴に人差し指と中指を突っ込んだ。舌を指で挟んだり、内側からほっぺたをぐいっと押してみたり、ひとしきり口内を蹂躙してから唾液に濡れた指を引き抜く。
ついでにセンラさんの腹に溜まった精液も少しすくい取って、後ろに塗りつけるようにしながらゆっくりと、まずは一本の指だけ挿れていった。

「んっ、あっ……は、あっ……あぁっ……」

「センラさん、痛かったら言って」

「ん、へい、き……あ、うっ……」

奥まで挿れて、ゆっくり抜いて。何度か繰り返した後に、指を一本増やした。少しずつ角度を変えてセンラさんの内側を探っているうちに、どうやらいいところを探り当てたようでセンラさんの身体が一際大きく跳ねた。

「あぅっ……!!」

「センラさん、ここ?」

「あ、やぁっ、そこ、あかん、✕✕✕さんっ……!」

冷水を浴びせられたように、頭と体の熱がすぅっと下がった。
センラさんにとって俺は今、志麻ではない。わかった上で行為に及んでいても、実際に名前を呼ばれることの破壊力は大きかった。

「……指、もう一本増やすで?」

「くっ、うぅっ……あ、あっ……」

三本に増やした指で、見つけたセンラさんのいいところをしっかり擦りながら抜き差しを繰り返す。センラさんの声はより大きく、切羽詰まった声音に変わっていった。

「あっ、そこ、あかん、気持ちええ、もっと……あんっ、✕✕✕さん、そこっ、あ、いいっ」

俺に抱かれる時はいつも声を出すのを我慢しがちだったし、言えば何でもしてくれるけど自分から積極的になることはほぼなかったくせに、今のセンラさんはあられもない声をあげながら、もっともっととより強い快感を求めてくる。それが酔っているせいなのか、相手が俺ではないと認識しているからなのか、深くは追及したくなかった。

「あっ、んっ、きもちい、✕✕✕さん、あっ、そこ、もっと……!✕✕✕さんっ……!」

何度もセンラさんの口からその名前が出ることに、ついに耐えられなくなった俺が取った手段は実に物理的なものだった。空いている方の手をセンラさんの口元へ伸ばして、手のひらで乱暴に押さえつけたのだ。

「んっ……ん、ぐぅっ……!?」

「なあ……黙ってて」

センラさんはびっくりしているようだったけど、それでも素直にこくこくと頷いた。酷くしてもいいと言った手前、そういうプレイなのだと解釈したらしい。

「俺の、挿れるで?絶対に喋らんといてな」

センラさんの口から手を離し、下の口からも指を引き抜く。長い両足の間に身を割り込ませて太腿を掴み、大きく開かせた。さっきからずっと痛いくらいに張り詰めていた俺自身をセンラさんの後ろにあてがう。

「挿れるで、力抜いて」

もう一度挿れる宣言をしてからゆっくりと腰を押し進めていく。先端がぬぷっと入り込み、そのままずぶずぶ、招かれるようにセンラさんに根元まで飲み込まれていった。女の姿のセンラさんを抱いていた時とはまた違う、初めて味わうその感触は目眩がするほど気持ちよかった。

「ん、んん……っ、んっ」

センラさんは縛られた両腕を口元まで下ろし、自分で口に腕を押しつけて必死に声を我慢していた。べつに名前さえ呼ばなけりゃ、いくら喘いでもよかったんだけど。

根元まで飲み込まれた俺のものをギリギリまで引き抜いて、今度はもう少し勢いよく奥まで挿れる。俺の腰とセンラさんの尻がぱつんとぶつかり、一気に貫かれたセンラさんは口を塞いでも抑えきれない呻きを漏らした。
開いた足の両腿をぐっと手で押さえ、腰を引いて、また打ちつける。さっき指で確認したセンラさんのいいところを抉るような角度で、何度も、何度も。こうなったら後はもう、女だろうと男だろうと要領はほぼ同じだった。

「んっ……ふぅ……んぐ、うっ、ふぅぅっ……!」

腰の動きが早くなるにつれ、センラさんの言葉にならない呻きも大きくなる。肉と肉のぶつかるぱんぱんという音と混じり合って部屋中に響きわたった。

「んっ、ふっ、うぅ、んん〜〜〜っ!」

センラさんの背が大きく仰け反り、びゅくびゅくと吐き出した精液が腹や胸へと飛び散った。
きゅうと締めつけられる感覚に道連れにされ、自分もセンラさんの中にすべてをぶちまけた。

「はあっ、はっ、はふっ……」

恍惚とした表情で呼吸を整えるセンラさんの顔を覗きこむ。ひょっとしたら俺が誰なのかを思い出してくれないかと淡い期待を抱いて。
だが、センラさんはとろけたような目線を俺に向けてじっと見つめてもなお、気づくことはなかった。それどころか、へらりと笑って俺の顔へ縛られたままの手を伸ばしてきた。

やめろ。何で気づかへんの。いくら酔ってるからって、なんで俺の顔わからへんの。
センラさんも俺のこと好きなんやと思ってたのは、ただの俺の自惚れだった?
俺の告白を断るのが辛そうに見えたのは、好きだからじゃなくてただの同情と罪悪感だった?

センラさんの手が俺の頬に触れ、またあの名前を言いそうになる。

「✕✕✕さ……」

「黙れ言うたやろ」

センラさんの手を掴んで自分の頬から引き離し、布団の上に押しつけた。もう片方の手で再度センラさんの口をきつく塞いだ。
乱暴にされて興奮したのか、センラさんの中が締まり、二度の射精を経て萎えていた股間のものも、また芯を持ち始めた。直接の刺激と視覚の刺激により、俺自身もまた勃ち上がってしまう。

惨めやな、俺。こんな状況でもまだちんこビンビンにしとるんやから。

「……センラさん、後ろからさせて」

もうセンラさんに顔を見られたくなかった。俺に映った他の男の幻を見てほしくなかった。

センラさんは素直に従ってうつ伏せになり、腰を高く突き出してきた。さっきセンラさんの中にぶちまけた俺の精液が溢れ出して白い太腿へと垂れている光景に、頭がクラクラする。
尻の割れ目に先端を擦り付け、滑り込ませるように挿入すれば枕に顔を押しつけたセンラさんのくぐもった喘ぎが聞こえてくる。

奥まで一気に貫いて、ゆっくりとギリギリまで引き抜いて。
それを繰り返しながら速度を徐々に上げていく。センラさんが飲み込んだまま掻き出していない精液が、抜き差しするたびにぐちゅぐちゅと卑猥な水音を立てる。

「んっ、ふっ、んんっ、うぅ……!」

センラさんは言いつけをちゃんと守り、枕に顔を埋めて必死に声を抑えている。
俺に突かれるたびに揺れる背中があまりに綺麗で、湧き上がる嗜虐心と支配欲が抑えられずにその背中へ覆い被さり、肩甲骨の辺りにがぶりと噛みついた。

「ん、ふぅっ……!」

押し殺した呻き声の意味が決して苦痛だけではないことは、センラさんの中がまたきゅうきゅうと締まったことからも明らかだった。

「センラさん、気持ちええ?」

「ん、んっ」

枕に顔を押しつけたまま、わずかに頭を上下させてセンラさんが頷いてみせた。

「なあ……俺のこと、好き?」

口をついて出てしまった問いに、はっと我に帰る。
あかん、何聞いとるんや俺は。
この状況で頷かれたら、治りきってもいない古傷をわざわざ抉って塩を塗りたくるようなもんやないか。

「ん……ぐぅっ!?」

自分から尋ねたくせに、頷かれるのを見たくなくてセンラさんの頭を上から強く押さえつけ、そのまま激しく腰を打ちつけた。

枕に顔を塞がれて呼吸もままならないであろうセンラさんは、縛られた両手でシーツさえうまく掴めずに身体をただ震わせている。死にはしないんだろうけど、相当苦しいのは間違いないはずだ。
それでも中はうねって締めつけてくるのだから、酷い仕打ちは案外好きなのだろうか。あの頃に言ってくれればもっともっと、お望み通りにしてやったのに。それとも✕✕✕さんにされるのが好きなだけ?ああ、もう。

センラさんにとって、結局俺って何だったの。

「ぐっ……う、ん、んんっ、ぐっ……ん、んん~~~~!!」

センラさんの中が一層きつく締まり、びくびくと身体を痙攣させて果てた。搾り取られるかのように俺も二度目の射精をした。

ようやく押さえつけられていた頭を解放され、両腕に巻かれた帯も俺に解いてもらったセンラさんは、しばらく放心状態でぜえぜえと荒い息を吐いていた。そのうち静かになってきたと思ったら、力尽きてこてんと眠ってしまった。

しんと静まり返った寝室に、やがて顔に似合わないセンラさんのいびきが大きく響き渡った。

あちこち飛び散った体液を拭き清め、服を着て、センラさんにも着物を着せて布団をかけてやる。その後はただ暗闇をぼんやり見つめる以外、何をする気も起こらなかった。

翌朝はとても気持ちのよい快晴だった。
冬の朝の柔らかい日差し、キリッと冷たい空気。鳥の囀ずる声。
穏やかな外の景色とは裏腹に、俺の心にはどんよりとした暗雲が立ちこめて今にもどしゃ降りが始まりそうだ。

あれから一睡もできないまま朝を迎えていた。身体は疲れていたが眠りに落ちることができず、天井の木目とセンラさんの寝顔を交互にずっと眺めていた。本当ならセックスした後でぐっすり眠る好きな人の寝顔など、とても満ち足りた、幸せな気持ちで眺めるべきもののはずなのに、俺の心は満ち足りるどころか恐ろしいほどに空虚だった。

「んん……」

センラさんが寝返りを打って俺に背を向けた。ん、あれ、えっ?みたいな寝ぼけ声が小さく聞こえ、どうやら起きたらしいことがわかる。その後、完全に目覚めるのと事態を把握するのに要したらしい沈黙の時間がしばし流れ、ためらいがちにセンラさんがもう一回寝返りを打って、再度こちらへ顔を向けた。その目には、自分のやらかしたことを悟っているような焦りの色が浮かんでいた。

「おはよう、センラさん」

布団から起き上がって座り、センラさんに声をかける。自分でも驚くほどに何の感情も乗っていない、氷のように冷たい声が出た。

「………俺、もしかしてやってもうた?」

「うん」

おそるおそる尋ねるセンラさんに、短く突き放すように返事をする。

「……やってもうたかぁ……」

「ねえ、センラさん」

「は、はい」

センラさんの身体がぴくっと強張るのがわかった。親か先生に叱られるのを感じ取った時みたいな返事をして、俺の言葉をじっと待っている。

「✕✕✕さんって誰?」

センラさんの目が大きく開いた。しばらく絶句した後にまた寝返りを打って、俺に背を向けた。

「………やってもうたなあ」

溜め息混じりに呟かれて思わずイラッときた。

「誰って訊いてんねん、答えろや」

冷ややかで、ドスの利いた声にセンラさんの背中が凍りつく。今まで一度だってセンラさんに対して、こんな声を向けたことなんてない。

「センラさん、そいつのために人間になる決心したんやって?」

「……!」

がばっとセンラさんも起き上がってこちらへ向き直り、驚愕の表情で俺を見つめた。

「すごいなあ、よっぽどそいつのこと好きやったんやな。そんなことできるなんて俺、ぜーんぜん知らんかったわ」

「あ、いや、ち、ちゃうねん志麻くん」

「まあ、それはセンラさんが決めることやから俺がどうこう言えへんけど。でもいくらべろべろに酔ってたからって、間違われたのはさすがに傷ついたで。センラさん、俺の顔もよう覚えてへんかったんやなあ」

「志麻くん、ごめん、聞いて。ほんまにごめん、説明させて」

「間違われたのを利用していいことさせてもろたから、結果オーライやけどな。あれか、今まで男の姿では絶対やらせてくれへんかったのは、そいつに操を立ててたってことか。ようやく納得したわ」

「志麻くん、お願い、聞いて。俺の話聞いて、お願いやから」

「でも、そこまで好きやったのに結局振られたんやろ?そいつべっぴんの嫁もろたんやってなあ、かわいそうやなあセンラさ……」

パンッッッ!!

人体同士が勢いよくぶつかる音が、室内に大きく響いた。

「………え?」

何が怒ったのか理解できず、空気が止まったように感じた。沈黙が部屋を満たす。

手のひらで、頬を、強く打った音だった。それはわかる。そこまでは、想定内と言っていい。

だが、頬を真っ赤に腫らしているのはセンラさんで。
じんじん痛む右の手のひらを左手で押さえているのは、俺の方だった。

「……なん、で」

「気が済むまで殴って。その後で俺の話聞いて」

「え、ちょっ……!やめ、やめてセンラさん……!」

右手が勝手に動いて、センラさんの前髪をがしっと掴む。
左手が勝手に振り上げられて、センラさんの右頬を打つ。

掴んだ前髪を思い切り手前に引っ張らされ、倒れ込んできたセンラさんの鳩尾のあたりへ左の拳を叩き込まされる。

「うぐっ……!げほっ、ごほっ」

「センラさん……!ごめっ、ごめん、もうやめて」

うずくまって咳き込むセンラさんの頭を上から拳で殴らされ、布団の上にべしゃっと倒れこんだセンラさんの上へ、馬乗りにさせられた。

「やめ……っ、やめて、やめてセンラさん、もうええ、もうええから!!ごめんなさい話聞きます!!聞くから止めて、お願い!!!」

高く突き上げさせられた拳が空中でぴたりと止まり、制御する力を失って重力のままに下へ降ろされた。

心臓がバクバクして全身の震えが止まらない。ひとまずセンラさんの上から身体をどかしてずるずると這うように布団から離れ、壁際まで移動する。壁に凭れて座り込み、乱れた呼吸を落ち着かせた。

「げほっ……ごめんな志麻くん、大丈夫?」

センラさんは俺よりよほど冷静で、壁際に座り込む俺のそばへ近づくと心配そうに顔を覗き込んできた。ぐちゃぐちゃに乱れた髪、赤く腫れた頬が痛々しくて、思わず目を背ける。

「セ……センラさん……ごめん……」

「大丈夫や、俺がやったことやから謝らんで」

「センラさん……ほ、ほんまにやめて、こういうの……」

「……ごめん。殴られた方がマシやと思って、つい……」

「つい、やないねん……こわ、かった……」

「ごめん、ごめんな。手も痛かったよな、ごめん」

そう言うとセンラさんは俺の手を取って、軽くきゅっきゅっと握った。平手打ちした手のひらも拳で殴った部分も、すっと痛みが消えていった。

「あ、ありがと、でも俺より、センラさん自分の顔……」

「ああ、うん。志麻くん、はい。水飲んどき」

センラさんがコップに入った冷たい水を手渡してくれた。何口かに分けてゆっくり飲んでいるうちに、ようやく身体の震えも治まっていった。その間にセンラさんは両手で自分の顔に触れて頬の腫れを引かせ、乱れた髪を手櫛で整えていた。

「その……何から話せばええのかな、ごめんな、ちょっとごちゃごちゃしてしまうかもしれへん」

俺が落ち着きを取り戻したのを見計らって、センラさんがおずおずと切り出した。

「……ええよ、ごちゃごちゃでも全部話してくれるんやったら。俺もちゃんと最後まで聞くから。でも、嘘はつかんといてな。言葉には魂が宿るから、嘘はあかんってセンラさん言うてたやろ」

「……ああ、嘘は言わん。最低なことしてもうたから、許してくれとは言えへんけど……せめて今まで隠してたことも全部正直に話すわ。あの、まず✕✕✕さんのことなんやけど……間違えてごめんな、でも志麻くんの顔覚えてへんとか、そないなことあるわけないやん。そうやなくて、シンプルに顔がそっくりやねん。生き写しレベルで似とるんや」

「えっ?」

「その人な、志麻くんのご先祖様なんよ。志麻くんの、ひいひいおじいちゃんなんや」

「ひ……ひいひい、じいちゃん?」

「そうや。まさか百年以上経って、そっくりな顔の子孫と友達になるとは俺も思わんかったけどな」

「俺に……そっくりなん?」

「ああ。こういうの先祖返りって言うんかな。志麻くんがちっちゃい頃からよう似とったけど、大人になるにつれて顔も背格好も、ほんまに瓜二つになってきとる。おまけに今は髪型までおんなじ感じになっとるから、昨日最初に見たときは一瞬、あの人が化けて出たんかと思ったくらいや」

「そう、なんや……」

気分転換に思い切り短くしただけやのに、それが思わぬ人違いを招く一因になってしまったようだ。

「志麻くんの顔ってあれやん、流行り廃り関係なく、どの時代でも通用する綺麗な顔やん。せやからひいひいおじいちゃんもな、その頃ここはまだ町やなくて村やったんやけど、村一番の男前って言われとってこの辺じゃ有名やったんよ。俺も一方的には存在を知ってたんやけど、直接出会ったのは、ある年の夏祭りの時やった。一人でウロウロしとった俺に、あの人が声をかけてきたんや」

俺がデートに誘った時、夏祭りと聞いて少しそわっとしたセンラさんを思い出す。ただ行きたかっただけなのかと思ったら、そこがひいひいじいちゃんとの出会いの場だったとは。

「それは……ナンパってこと?」

「ふふ、そんなんやないよ、俺このままの姿やったし。見ない顔やからちょっと気になったってだけやと思う。俺の方は、あ、あの有名な男前やって思って、流れで一緒に飲みに行ったんやけどな。性格もええしおもろいしで、すっかり意気投合したんや。この人なら大丈夫やなって思ったから、自分の正体バラして神社に連れてきて飲み直して……そしたらなあ、なんや変な雰囲気になってもうてん。俺、女としか経験なかったし向こうも同じやったんやけど、気づいたらそういうことになっとったなあ」

「……ふうん」

好きな人から過去の男の話を聞かされ、しかもその男は自分の先祖で、自分にそっくりだと言う。なんとも形容しづらい気持ちではあったが、少なくとも愉快な気分ではなかった。

「俺、その頃はけっこうだらしなくてな、女相手に一夜限りの関係とかはちょいちょいあったんや」

「……え、」

今までのカミングアウトのインパクトが強すぎて霞んでしまいそうになるが、これはこれでけっこう衝撃的な発言である。女の姿になって俺に手取り足取り筆下ろししてくれるくらいやから、それなりの知識と経験はあるんやろうなと思ってはいたが。

「そんな目で見んといてよ。俺な、何でか知らんけど昔から、そういう意味でも人間が好きやねん。神様同士で恋愛してれば、特に困ることもないのにな。志麻くんはよくわかってることやけど、人間相手に本気になったところで先がないやん。それでも人肌恋しい時はどうしてもあるから、一夜限りって割り切るのが一番楽で、都合が良かったんや」

俺の視線に何か感じるものがあったようで、センラさんの口調が急に言い訳がましくなった。俺もそんなに、人のことを言えた立場ではないのだが。

「あの人とは男同士やったし、既にめちゃくちゃ意気投合しとったから、一夜限りで終わらずにそのまま友達になってしもうたんや。まあ、今で言うセフレのつもりやった。最初の内はな。でも……」

口をつぐんだセンラさんに代わって、俺が言葉を継いだ。こんなこと俺の口から、できれば言わせないでほしかったけど。

「……本気になってもうたんやな」

それは悪いことでも何でもないはずなのに、センラさんはまるで過去に犯した重大な罪を告白するみたいな表情で頷くと、気まずそうに口を開いた。

「……俺な、初めて思ったんや、この人と一緒になりたいって。神様なんかやめたい、永遠の命なんかいらん、この人と一緒に年取って死にたいって」

「……それで、人間になろうとしたんか。でも、どうやって……?」

「今は無理やけど、その時は方法があったんや。詳しくはあとで説明するな。それで、あの人に伝えたんや。実は人間になる方法がある、でも俺は男やから人間になれたとしても男にしかなれへん、せやからどっちみち結婚はできひんけど、それでもよかったら俺と一緒になってほしい、って。あの人な、すごく喜んでくれたんや」

「え……でも……」

喜んだ?断られたんやないのか?
だってひいひいじいちゃんは、センラさんを捨てて結婚したんやろ。

「そうなんや、あの人と結ばれることは叶わんかった。人間になるチャンスは一日しかないんやけどな、約束の時間になっても、あの人は来んかった。そのまま一日待ちぼうけや」

「なっ……!ひど、ひどいなそいつ、いや、俺のひいひいじいちゃんやけど……」

何やそれ。残酷すぎるやろ、そんなん。
だったら最初からきっぱり断るべきやないか。

「しゃあないねん。家を継ぐはずだったお兄さんが、不慮の事故で約束の日の直前に亡くなったんや。他に兄弟はおらんかったから、どうしてもあの人が家を継がなあかんくなったんよ。何しろ百年以上前の話やからな、わかるやろどんな時代かくらい。個人の自由なんかなかったんや。あの人もずいぶん苦しんだやろうし、そこは責めんといたって」

「でも……だって、約束したんやろ……そんな、センラさん泣き寝入りしたんか」

「いや、むしろ俺の方が、後先考えずに無茶なこと言うてもうたなって今では反省しとるんや。俺のせいであの人に余計なもん背負わせてもうた」

「……」

なんでセンラさんが反省するんや。センラさんはただ、好きな人と一緒になりたいって願って、それを伝えただけやんか。事情があったとは言え、なんで裏切られた方が反省せなあかんのや。

「あの人には後日、土下座して謝られたよ。俺のこと殺してもええ、その代わり結婚して跡継ぎが生まれるまでは待ってくれ、その後は煮るなり焼くなり好きにしてくれって言われてな。そんなん言われて許さないわけにいかへんやん。結局あの人は村一番のべっぴんさんと結婚して、村一番のおしどり夫婦って呼ばれるようになった。それからもずっと俺たちは、ちょうど今の俺と志麻くんみたいな、気のおけない友達やったよ。あの人が死ぬまで、ずっと」

どこか遠くを見るような眼差しで、センラさんが静かに微笑んだ。

「ついでに言えば、あの人が結婚してからそういう関係になったことは一度もあらへん。俺が酔っ払って誘うことは正直しょっちゅうあったけど、あの人はいつも優しく宥めてくれて、でも一回も抱いてはくれへんかった。それがお決まりのノリというか、いつものパターンやったんや」

「えっ、そ…そうなんや」

そうか。だから俺が受け入れた時、センラさんは意外そうな反応をしていたのか。

「きっとあの人なりのけじめがあったんやろうなあ。もちろん奥さんに対してもやし、俺に対しても、それがあの人の誠意やったんやと思う」

「……ごめん。そんなん知らんくて、俺は……間違われたのをいいことに、センラさんに手ぇ出してもうた」

「なんで志麻くんが謝るんよ、悪いのは俺や。どうせ覚えてへんしな」

センラさんは困ったように笑って、ふっと溜息をついた。

「ゆうべは……覚えてへんけど、完全にその頃に戻ってもうたんやろな。言い訳になるけど、百年やそこらは俺ん中じゃついこの間やねん」

完全に納得できたわけではないけれど。
話を聞いてみれば、ああそういうことだったのかと思えるし、少なくともさっきまで抱いていた激しいマイナスの感情はかなり治まっていた。

「なあ、ずいぶん前に志麻くん、センラ様を粗末にすると祟られるっておじいちゃんおばあちゃんから聞いたことがあるって言うてたやろ。たぶんやけどな、その話の出所はあの人やと思うねん。
いくら許したとは言うても、やっぱり奥さんと並んで仲良く歩いたりしてるとこ見るたびにムカついてもうてな。向こうは見せつけてるつもりなくても、どうしてもこっちの目にはついてまうんや。そういう場面を見るたびに、他は晴れてんのにあの人の真上だけに雨が降るとか、刺しはしいひんけど蜂の群れがずっと追ってくるとか、連続で犬のウンコ踏むとか、そういうしょうもない嫌がらせしたったんや。
あの人は俺の仕業やってすぐ気付いたやろうけど、奥さんとか周りの人にはまさかセンラ様を振ったせいでこんな目に遭ってるとは言えないやん。せやから自分がセンラ様を粗末にしたからやとか、適当なこと言うてたんやと思う。その話に尾ひれがついて、志麻くんが聞いたような話になったんやろうな」

「……ふふっ、何やそれ。センラさんにも、そういうとこあるんやな」

「そら、あるよ。そのうちどうでもよくなって、好きなだけイチャイチャせえって思うようになったけどな」

そこで話が一区切りついて、しばしの沈黙が流れた。

✕✕✕さんの正体については、ひとまずこれで解決したけれど。
あとはもうひとつ、同じくらい気になっていたことを聞かなくては。

「……センラさん。その、人間になる方法っていうのはどういう方法なんや?今は無理っていうのはほんまなん?」

「ほんまや、今は無理なんや。せやから志麻くんに言わんかったのは、そもそもできひんことをわざわざ言う必要もなかったからなんや、そこはわかってくれな。その方法っていうのはな、ちょっと説明しづらいんやけどな」

センラさんは一呼吸置いてから、ゆっくりと話しだした。

「前提として、恋仲になっている人間と二人で協力しなあかんのや。神様が人間になりたがる理由なんてほぼ百パー、人間に恋したっていう理由しかあらへん。ただ、そういう神様をホイホイ人間にしてやっとったらさすがにいろいろ障りが出るし、かといって全く救済措置がないのもアレやしってことで、神様の中でもお偉いさんみたいな連中が、たまーにこの日なら人間になれますよって日を設けてるんや。ただ、その周期がめっちゃ長い上に不定期やねん」

「……へえ」

「だいたい百年から二百年に一度くらいの周期なんやけど、もっと間が空くこともあるし、五十年くらいで次が来たこともあるし、ようわからん。しかも告知されるのは一ヶ月前っちゅう、絶妙な短さや」

「な、なんやそれ……」

「意味わからんやろ?で、その日が来て何をするかっちゅうたら、これはわりと簡単やねん。日が出てから日没までの間に、その恋仲になった人間と契りを交わせばええだけや」

「契り?」

「何でもええんや、プロポーズでもセックスでも結婚式でも。心が通じ合ってることをお天道様に示せばそれでええ」

「ふーん……その辺はけっこうゆるいんやな」

「でもな、周期が周期やから、好きになった人間が生きている間にその日が巡ってくる確率は決して高くないんや。巡ってきたとしても、人間側がもうヨボヨボの老人になっとる場合ももちろんある。神様側は個体差はあるけど大体俺ぐらいの年齢で老化が止まってるから、そうすると二十代と八十代とかのえらい年の差カップルになってしまうわけやな。その点、あの人とは出会って三年くらいで、ちょうどいい年齢でその日を迎えられたから、まさに奇跡的やったんやけどなあ」

「……やっぱり、ひいひいじいちゃん酷いなあ」

「そないなこと言うなや。さっきも言うた通りやむを得ない事情があったんや。それに、今思えばこれでよかったんやと俺は思ってるよ。あの時あの人が俺を選んどったら、志麻くんは今この世におらんわけやからな」

「………」

そんな風に言われたらもう、何も言えない。確かにひいひいじいちゃんがセンラさんを振って結婚しなければ、俺が生まれてくることもなく、こうしてセンラさんと出会うこともなかった。でもやっぱり、その時のセンラさんがどれほど深く傷ついたかを想像すると、我がご先祖様ながら何しとんねんクソが、とも思う。

それがいいか悪いかは別としても、人肌恋しさにふらふらと一夜限りの相手を求めていたようなセンラさんが。
このボロ神社に引きこもって、俺という例外を除いて人間に関わろうとしなくなってしまったのは、まず間違いなくひいひいじいちゃんのせいや。

「昔話はこれくらいや。志麻くんにはほんま悪いことしたな、ごめん」

「あ、いや……」

「……志麻くんがあの人の子孫やなかったら、あの人の面影がなかったら、ちっちゃい頃の志麻くんに俺から声をかけることも、神社に迎え入れることもなかったかもしれへん。それは否定できひん。でもな、すぐに志麻くんのことは志麻くんとして見るようになったし、あの人に重ねたりとか、あの人の代わりみたいに思ったりはしてへんよ。確かに顔はそっくりやけど、性格はそんなに似てへんし、あの人とは全然別物や。間違えといて説得力ないかもしれんけど」

「……ほんまに?」

「ほんまや、嘘はつかん。あとな、もうこうなったら正直に言うけどな。志麻くんに男の姿で抱かれるのを拒んでたのは、あの人に操を立てとったとかそんなんやないねん。ただ単純に、引き返せなくなるのが怖かったからや」

「え……?」

「女の身体はあくまで仮初の姿やから、なんぼ抱かれてもどこかで本来の自分と切り離しておくことができたんや。でも男の姿で抱かれたりしたら、もうあかん。もう引き返せへん。いつか終わりにせなあかんのに、それができなくなるかもしれんと思うと、怖かったんや」

「えーと、センラさんそれって……」

「最後に抱かれたときも、志麻くんは男の姿を望んとったけど断ったやろ。最後やからええかなって、一瞬ちょっと思ったんやけど、いや、むしろ最後やからこそあかんなって思い直したんや。最後の最後で、絆されてしまいそうやったから」

「………」

「これで、俺が言えることは全部なんやけど……志麻くん、まだ怒っとる?……よな、ごめん……」

センラさんは正座して両膝に手を置き、俺の顔をちらりと見てから気まずそうに俯いてしまった。すべて曝け出してあとは裁きを待つばかりという様子で、神妙な顔で俺が何か言うのを待っている。

もう怒ってはいなかった。嫉妬心がないわけではないが、それは腹の底から湧き上がる様々な感情のほんの一部でしかなかった。

それよりも何よりも、こんな話を聞いてしまったら、俺はもう。

「えっ?ちょ、志麻くん、くるし……」

無言でがばっと抱きしめた俺に驚いているセンラさんだが、抵抗はしない。

「センラさん」

「……はい」

「俺の言いたいこと、わかるよな?」

「……わからへんよ」

「嘘はあかんよ、センラさん」

「……だめや」

「ふふっ、わかっとるやん」

「だめや。いつになるかわからへん。志麻くんが生きてるうちに叶う保証なんてない」

「でも、前回が百年ちょっと前やろ?ほんならもう、すぐにその日が来たっておかしないわけやん」

「だめや、ほんまに。志麻くん、俺が全部正直に話したのは、わだかまりを残したくないからや。もういっぺん同じこと繰り返すためやないんよ。お互いあんな辛い思いして、せっかく前の関係に戻ったんやないか、もうずっとこのままでええやん。俺もうあんな思いするの嫌や」

「ふふふっ、センラさんさっきから俺のこと好きってほぼ言うてもうてるやん。かわええ」

「言うてへんわ!人の話を聞け!」

抱きしめられて身動きが取れないまま、センラさんがぺしぺしと俺の背を叩く。

「あの時は他にどうしようもないと思ったから、断腸の思いで諦めたんや。そんな解決策があるって知ってもうたら、もう諦められへん。センラさんが人間になれる日を何年でも、何十年でも待つよ、せやからセンラさん、やっぱり俺と付き合って」

「……さっきも言うたやん、もし人間になれるとしても、俺は男にしかなれへん。結婚は無理や」

「今はひいひいじいちゃんの時代とちゃう。俺も長男やし、全然平気とまでは言えんけど、同じようなことには絶対ならんから大丈夫や」

「……どうすんねん、志麻くんが八十代になってからその日が来たら」

「ええやん年の差カップル。俺、頑張って長生きするし」

「死ぬまでその日が来なかったら?」

「来るまで死なん!絶対死なんから!」

「楽観的にもほどがあるで、ほんまに……あほや、志麻くん」

「あほはセンラさんや。俺のために人間になる気なんかないって言えば済むことやのに、自分から袋小路に逃げこむようなことしか言えへんのやから」

「……」

センラさんが、抱きしめる俺の腕を無言で振りほどこうとする。だがその動作には、ゆうべのセックス中の馬鹿力はどこ行ったんやと言いたくなるくらいの弱々しさしかなかった。それ以前に、さっきみたいに俺を操って無理やり引き剥がすことだってできるはずなのに。
俺はますます腕に力をこめて、センラさんをがっちりと抱きしめた。

「センラさん、もう観念して俺のもんになってや。ここで振ったところで俺どうせ諦めへんよ、わかるやろ」

「……あかん、あかんて志麻くん。堪忍してや。俺、嫌やねん。怖いねん。志麻くんの一生を台無しにしたないねん。結婚して幸せになってくれた方が、よっぽどええねん。頼むから、ほんまに頼むから……」

今にも泣き出しそうな声でセンラさんが訴える。こんな泣き落としとも悪あがきともつかない振る舞いは、いつも理性的なセンラさんにとっては不本意極まりないだろう。それだけ追い詰められてるってことだ。

俺だってべつにセンラさんを追い詰めたいわけじゃない、でもとことん追い詰めないとセンラさんはきっと落ちてくれない。数年前の夏祭りの日のように引き下がるわけにはいかないのだ。

「俺の一生はセンラさんありきや。センラさん以外は無理や、他の人と結婚なんか絶対せえへん。センラさんも気づいとったかもしれんけど、俺ずっと彼女もおらんのや」

「志麻……くん、あほ……あほや、志麻くん。キッショいねん……イケメンやのに、宝の持ち腐れや、ええ加減にしいや……筆下ろしなんか、するんやなかった……」

とうとう半泣きになりながら、センラさんが支離滅裂なことを言い始めた。あと一押し。あと一押しや。

「センラさん、俺な、センラさんのこと一生大事にする。センラさんは頼もしい神様やけど、ちょっと危なっかしいとこもあるからな、ほっとけへん。俺が一生、守ったるよ」

何の力も特別な才能も持たないただの人間風情が神様に対して、あまりにもおこがましいことを言っている自覚はあるけれど。

本来の持ち主には放ったらかしにされて、人間相手に一夜限りの温もりを求めて、初めて本気で愛した男には裏切られて。
俺が連れ出すまで百年以上も引きこもるほど傷ついたくせに相手を恨むことさえできず、明日をも知れないボロ神社で大好きな人間たちのために願い事を叶え続けているこの神様のことを、俺はどうしても幸せにしたい。

それが一生をかけた大博打だとしても、センラさんがいつか人間になれて、俺と添い遂げられる日が来ることを信じたい。

「センラさん」

「……」

「なぁ、顔見せて、センラさん」

「……嫌や」

腕の力を緩め、身体を離してセンラさんの顔を覗き込もうとしたが、今度は逆にセンラさんが顔を見せまいとして俺にしがみついてきた。

「なんでや、顔見せてよ」

「嫌や……見られたら、負けや」

「ふははっ、何やそれ」

既に負けを認めてるも同然やん。俺は勝利を確信し、心の中でガッツポーズをした。

「センラさん、どうすんの?一生こうしてんの?」

自分でもちょっと意地悪やなと思いつつ、センラさんから完全に手を離して、だらりと床に座り込む。センラさんは俺に抱きついて肩に顔を埋めたまま、どうにも身動きが取れなくなってしまった。

「……志麻くん、いけずや……」

「ふふっ。ごめんなセンラさん」

「でも………、」

「ん?」

「………」

「なになに、どした?」

「……………好きや」

あかん。
脳の血管焼き切れそうや。
白旗の上げ方が、あまりにもかわいすぎる。

「っしゃあぁぁぁっ!!センラさんの好き、もろたぁぁぁっっ!!!」

馬鹿でかい声で叫んで、今度は本当にガッツポーズを取ってから、もう一度センラさんを強く強く抱き締める。
声でっか、と涙混じりの鼻声でセンラさんがくすくす笑った。

冬の朝の柔らかい日差し、キリッと冷たい空気。鳥の囀ずる声。
穏やかな外の景色とは裏腹に、俺の心には灼熱の太陽が照りつけて今にもカーニバルが始まりそうだ。

卒業を控えた大学生志麻、そろそろ青春の終わりが見えてきた頃。
頑なだったセンラさんの心がようやく雪解けを迎えたこの日のことは、一生忘れん。

俺の一世一代の大恋愛の、第二章がこうして幕を開けた。

<つづく>

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